その他の衆        

世尊は、2月15日の入涅槃にあたり、大光明を放たれたが、その光の中に音声(おんじょう)があって
如来の入涅槃を告げ、大衆を召し給うた。・・・
ここでは、涅槃図の中に登場するその他の関係者を記載する。






























老女 (ろうにょ)


毘舎離城 (びしゃりじょう)の老女という。
毘舎離国(びしゃりこく)は、かって世尊が悪疫退治に
行かれた事がある仏縁深きところである

お釈迦様の御足を拝し、泣き濡れ、涙している。
この老女が、若い頃、お釈迦様に一目お目にかかりたいと
旅に出たが、老女になるまで、お会いできなかった。
しかし、お釈迦様の入涅槃で・・・

老女の流した涙が、お釈迦様の足に、しみとなって残った。
迦葉尊者の言葉として、そのしみは、老女の志の深さを
如来が、われらにお見せ下されたのだろうと・・・










純陀 (じゅんだ) (ちゅんだ)


供物を捧げる形で描かれている。
宝床の右前に泣き伏している純陀図が多いらしい。

純陀の供養
釈尊は波婆城 (はばじょう)に至り、説法をなされたが
波婆城の鍛冶工の子、純陀は説法に発心し、世尊と
お供の人たちに、心づくしの料理と、合わせて珍しい
茸 (きのこ)料理を供養した。

釈尊は、茸料理を自分だけが食べ、残りを穴の中に
捨てるように命じられた。

やがて、茸料理がもとで、釈尊は・・・





耆婆 (ぎば)


世尊の主治医
医王として時人に崇仰せられたが、自らも仏教を深く信じ
外護者となった。














迦葉童子 (かしょうどうじ)


涅槃経の会座で悟りをひらいた。
また、世尊の問答の相手をつとめ、涅槃経を受持する大役を
担っている。
双髻の童子の姿。
12歳という。
















力士


クシナガラに住んでいたマッラ族。
宝床の上方の右端や左端に描かれることが多い。
飾りの多い、民族衣装風の姿である。