涅槃 (ねはん)       

涅槃とは。・・・百科事典抜粋
サンスクリット語でニルバーナといい、『さとり』と同じ意味であるとされる。
しかし、ニルバーナの字義は、「吹き消すこと」,「吹き消した状態」であり、すなわち
煩悩の火を消した状態を示すのが本義である。
その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。
また、涅槃は如来の死そのものを指す。
涅槃仏などは、まさに死を描写したものである。
「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で
涅槃寂静といわれる。

「さとり」の世界では、無明を滅して智慧を得て、あらゆる束縛を離れて完全な自在を
得る。そこでは、涅槃を一定の世界として留まることなく、生死といっても
生や死にとらわれて、喜んだり悲しんだりするのではなく、すべてに思いのままに
活動して、衆生を仏道に導く。
このような涅槃は、単に煩悩の火が消えたというような消極的な世界ではなく、
煩悩が転化され、慈悲となって働く積極的な世界である。その転化の根本は、
智慧の完成である。ゆえに「さとり」 が智慧なのである。




























涅槃会 (ねはんえ)
仏教早分かり百科より抜粋。
涅槃会は、釈迦入滅の日とされる二月十五日に、釈迦をしのんで行われる行事で、
涅槃忌、仏忌、常楽会とも呼ばれる。


涅槃図 (ねはんず)
涅槃経等の経典の内容を涅槃時の絵として描かれたもの。
文献より、涅槃図の種類に「明兆型」と「道益型」があるとの記載あり。

「明兆型」
明兆殿司作の東福寺涅槃図(室町時代)の形式を踏襲。
江戸時代中期まで多く、その特徴は、宝床下に伏している阿難尊者の向かいで
同じく泣き伏している人物を、日光長者としていることです。

「道益型」
江戸中期(正徳・享保頃)に活躍した画家ー道益の版画涅槃図以後、顕著に
認められている形式で、明兆型で日光長者としている人物を、准陀(純陀)とするものです。
この形式は、明らかに絵解きを念頭においての配置と思われます。
宝床下に准陀が居れば、世尊への最後の供養の場面から説き起こせるわけで、
江戸後期、この形式が主流になるのもうなずけます。
日本での、涅槃図の構図は、平安時代以後、幾多の変遷を見せ、
ここに一応の完成を見たとも言えそうです。
涅槃図に、准陀が居るのか、居らないのか、一つのポイントになりそうです。


最古の涅槃図
高野山・金剛峰寺に現存最古の涅槃図画ある。
製作は応徳三年 (西暦1086年)  平安時代































私見
初期の涅槃図に対する考え方がわかる。
現在ある江戸時代の一般的涅槃図と比較してみると相違点が結構ある。
お釈迦様が、腕枕されていない。
お釈迦様が上向きで寝ておられる。
沙羅双樹の表現で、双樹の意味が理解しやすい。
麻耶夫人のお供がいない。
案内役の阿那律尊者がいない。
満月がない。
足さすり婆がいない。
動物が少ない。
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以上から、時代の経過とともに、経典理解がなされ、涅槃図が変化してきた
感じがします。