〈大江定基関係年譜〉
年齢 年 号 西暦 関係事項
  応和2 962 ・参議左大弁式部大輔斉光の三男として生れる
        「慈悲有て身の才、人に勝たりける」(今昔物語)
        「文章に長じ」(続本朝往生伝)
          彼の和歌は「玄々和歌集」「続詞歌和歌集」
4 康保3 966   藤原道長生れる
  康保4     延喜式施行
23 永観2 984 ・国司として三河守に任ぜらる(従五位下勲六等)
        「栄爵の後参河守に任ず」(続本朝往生伝)
          道長は15才で従五位下
      ・赤坂宿の力寿(宮路弥太郎の女)
        「色美しく歌舞を善くす」(力寿碑)
24 寛和元 985 ・定基「国務の間、赤坂の力寿という遊女になれて契深かりけるが」(三国伝記)
        「取って妾となし、甚だこれを愛す」(力寿碑)
25 寛和2 986 ・愛妾力寿を失う。
        「無常の風妙なる花を吹き、有漏の霧美なる月容を隠しぬ」(力寿碑)
        「力寿何ぞその夭(はやじに)なる」(力寿碑)
        「悲哀痛哭して埋葬する意なし」(力寿碑)
        「いだきてふしたりけるほどに七日になりけるに、口より虫ども出できれば」(宝物集)
      ・力寿山舌根寺建立。
        「乃ち力寿の舌をきり以て陀羅尼山の峯に登りその舌を埋め其の所に楼をつくり文殊の像を安置し且つ一時を建つ、而して楼を文殊楼と称し、寺を舌根寺と名づけ峯を力寿山と号す」(力寿碑)
26 永延元 987 ・十一月父斉光没(54)
27 永延2 988 ・帰京、4月26日出家
      ・京都東山、如意輪寺(寂心−慶慈保胤)の修行僧となり寂照と称す。
        「世の中をうきものに思い、愛別離苦を悲しんで」(宝物集)
        「仍ち冠纓を割いて」(元亨釈書)
        「東山如意輪寺の修行僧となり」(宝物集)
      ・托鉢で別れた妻と出会う
        “我を捨てたるによりかかる乞食になり果てるか”
        ”あなとおと、あなありがたし”
28 永祚元 989 ・比叡延暦寺の源信(恵心僧都)に師事。
        3月7日状を奉り入宋を願う・・・だめだった
      ・次第に頭角をあらわし「三河聖」「三河入道」とたたえられ名声を博した。
        「早くも講学に名あり」(元亨釈書)
34 長徳元 995 ・源信彫刻の弥陀三尊をいただいて三河に帰り舌根寺の本尊とする。
      ・また六光寺(今の西明寺)を建立
          道長左大臣となる(30才)
41 長保4 1002 ・源信より依頼の「台宗門目27条」をたすさえ、7月離京
          寂心没
42 長保5 1003 ・8月25日肥前から宋に赴く(紀略)
      ・9月12日杭州東方の明州府に着き「台宗門目27条」を南湖の知礼(法智大師)に渡す。
        「宋に飛錫し」(力寿碑)
        「景徳元年、其国僧寂昭等八人来朝」(宋史)
        「礼、昭をむかえて上客となす」(元亨釈書)
      ・「台宗門目27条」の回答は出来たが、宋の大臣丁晋公nお懇請により宋に留まることになり、甲斐等は他の留学僧によって源信のもとへ届けられた。
        「南湖の知礼に従って学び、学増進す。宋大臣丁晋公これを尊信す」(力寿碑)
        「遂に留りて杭州呉門寺に住し、名異域に高し」(力寿碑)
44 寛弘2 1005 ・寂照、宋より書状を道長に送る(御堂日記)
47 寛弘5 1008 ・道長、寂照に書状を送る(御堂日記)
  長和4 1015 ・道長、僧念救の再入宋に際し、寂照らに消息、雑物などをおくる(御堂日記)
54     ・寂照、宋で高僧待遇
  長和5 1016     道長摂政、つづいて太政大臣、翌年辞退(紀略)
          源信没(76才)
  寛仁3 1019     道長病により出家、東大寺で受戒する(紀略)
66 万寿4 1027     後一条天皇、道長の病のため法成寺に行幸、僧一万人に読経の宣下(小右記)
          道長12月4日没(62才)
      ・寂照(僧官?)道長に書状を送る(百錬抄)
71 長元5 1032 ・藤原頼道、寂照に返状を送る(紀略)
73 長元7 1034 ・7月10日(12日の説もある)寂照仁宋帝より「円通大師」の称号を受けて没。
        「詔して円通大師と号し、紫方袍を賜う(宋史)
  貞応 1222 ・貞応海道記
  (鎌倉時代) 1223   「巨唐に名をあげ、本朝に誉を留る、上人まことに貴し」
  宝暦年 1751 ・舌根寺廃寺となり本尊阿弥陀如来ならびに文殊菩薩は親寺の財賀寺へおさめられた
  (江戸時代) 1763  
  安永5 1776 ・7月15日、財賀寺の昶如和尚により「力寿碑」建立