| 本社は進雄命(すさのうのみこと)を御祭神としています。進雄神社は明治時代以前は豊川牛頭天王社と呼ばれ、豊川村の産土(うぶすな)の神として広く信仰されてきました。 社伝によれば、大宝元年(701年)に豊川の右岸に沿った元宮の地に牛頭天王を御祀りして雨乞いのお祭りを行ったのを創始として天徳元年(957年)に今の豊川西町にお迎え申し上げたとあります。 昭和40年には愛知県神社庁指定で四級社となり、豊川市内では最大の社格となりました。 |
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豊川進雄神社は、本社と元宮の2つの社があります。本社の御祭神は進雄命(すさのうのみこと)、元宮(稲田神社)は稲田姫命(いなだひめのみこと)が祀られています。 現在は本社に合祀されており、稲田神社は御旅所になっています。 |
| 牛頭天王は祇園精舎の守護神で疫病退散の神と信仰され、町で疫病の流行する6月から8月にかけて、その災害を防ぐ意味で夏祭りが盛んになりました。 進雄神社では古くは宮座と呼ばれる村の有力者七家によって祭祀が行われてきましたが現在は東西の本会所と呼ばれる東西各十五家の方々がその役を担っています。 |
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| 煙火の起源は当社西本会所の『花火縁起録』に万治3年(1660年)小笠原四郎右衛門義忠が衰退していた煙火を再興させたと記録されています。 その文書によれば、祭りにかかる費用の不足を、地元の若衆に呼びかけ、権現堂(今の豊川東部小学校敷地内)脇の荒地を開墾し、長年にかけて増加させることでその費用に当て、その傍ら若衆に花火の製法を教え、彼らを東西2組に分け花火を競わせたそうです。 これが豊川進雄神社の花火祭りの起こりと言われています。 |
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